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郊遊<ピクニック> [台湾]


ピクニック [Blu-ray]

ピクニック [Blu-ray]

  • 出版社/メーカー: 竹書房
  • メディア: Blu-ray







『郊遊<ピクニック>』ツァィ・ミンリャン監督(台湾)

父親(李康生)は不動産広告の立て看板を持つ仕事でわずかな日銭を稼いでいる。彼の幼い息子と娘は試食を目当てにスーパーマーケットの食品売り場をうろつく。郊外を歩く3人の仲睦まじい姿は、時にピクニックをしているようにも見える。しかし、夜になると親子3人は水道も電気もない空き家にマットレスを敷いて眠る。ホームレス同然だ。土砂降りの雨の夜、父親はある決意をするのだった。
 

昨年のヴェネチア国際映画祭で蔡明亮監督が突然引退を表明した。本作が最後の作品だという。まだ50代で引退とはあまりに早すぎる。理由は明らかではないが、体調が思わしくないとのことだ。この作品の製作中も一時は死を意識する状態だったとか。この突然の宣言、俄には信じられなかったが、完璧主義でトリックスターの蔡監督だから10作目をひとつの区切りにしたのかもしれない、とも思った。

今は亡き六本木シネ・ヴィヴァンという映画館で観た『愛情万歳』(日本公開は1995年)に心酔して以来、蔡監督の作品は上映される度に欠かさず観て来 た。その魅力を一言で表すなら、「孤独と戯れる」映画であったと思う。長回しの中に聴こえてくる空調の音、一人で歩く長い道のり、無意味に過ぎて行く時間。孤独とはいかに豊潤で滋味に富んだものかを肯定してくれるのが僕にとっての蔡明亮映画であった。全ての長編映画で主演を演じているシャオカンこと李康生は僕とほぼ同年ということもあって、この20年を一緒に生きて来たような同世代感がある。思い返してみると、映画の中のシャオカンは飄々としていて、何 か執着があるというわけでもなく、露天商、映画技師、AV男優など職を転々とし、冴えない男のように見えるが男女分け隔てなくセックスをし、パリやクアラ ルンプールの闇にも出没する、自由な存在として描かれているのに気づく。



本作『郊遊 ピクニック』では、それまで万年青年だったシャオカンが、二人の子供の父親になっている。シャオカンには責任が生じて、それまでの自由がなく なっている。しかもホームレス同然だ。人生の苦境に立たされているのだ。更に、今まで微塵もなかった“老い”が描かれているのに気づく。『愛情万歳』では 黒いタイルの浴室で全裸になるシャオカンだったが、この映画にも入浴シーンがあり、決して若くない裸体をさらしている。エロスの象徴として頻繁に登場して きた丸い西瓜は、シワのあるキャベツに変わっている。3人が庇護される部屋は、まさに『愛情萬才』の部屋が歳月で変質したような部屋で、壁は水墨画や太湖 石の形状をしている。持ち主の女は「この部屋は病気なのよ」と言う。これは蔡監督の健康状態と重なるところだ。

最近になってロバート・ミッチャム主演の『狩人の夜』(55)を観る機会があった。この作品は蔡監督がオールタイムベスト・テンにあげている作品で、本作との類似性を指摘する人もいて、なるほど、と思った。ロバート・ミッチャム演じる残忍で強欲な継父から逃げ、居場所を求め彷徨する二人の子供の姿が重なっ て見えるのだ。ちなみに『郊遊 ピクニック』に登場する二人の子供は李康生の実の甥と姪だという。本作には、もう一人重要な登場人物がいる。昼はスーパー に務めながら夜になると廃墟の中を徘徊し、子供たちを保護する女だ。彼女は『西陽雑俎』にも記述がある「夜行遊女」や「姑獲鳥(産女)」といわれる妖怪を 連想させもするが、『狩人の夜』の中のリリアン・ギッシュの役柄にも重なる。その役を楊貴媚、陸奕静、陳湘琪の3人の常連女優が同一人物を演じている。一 方で、水辺や舟、酒といったモチーフは、どこか李白や杜甫等の漂泊の詩人たちを思い起こさせる。シャオカンが暗誦する「滿江紅」、廃墟もどこか中国庭園に 見えてくるし、ラストで出て来る山水画といい、思いのほか中国古典への憧憬が感じられる。



『ふたつの時、ふたりの時間』(2001)で苗天演じる父親が亡くなるまで、初期作品はディスコミュニケーションな「家族」の姿を描いていた蔡監督だっ た。『黒い眼のオペラ』(2006)では植物人間状態のシャオカンとその家族を登場させ、故郷マレーシアの政治状況を痛烈に批判してみせた。ここで登場した“さまようベッド(マットレス)”も蔡監督作品では重要なモチーフかもしれない。夢の姿として登場するもう一人のシャオカンは、男女を両脇に侍らせベッドに寝そべり、堂々と漆黒の水の上をたゆたい、自由への渇望を表していた。本作『郊遊 ピクニック』でも、空き屋に敷かれたマットレスと、モデルルームの中のふかふかのベッドが格差社会を物語るように対比のようにして出て来る。

マレーシアのクチン出身で半ば故郷喪失者のような監督が、台湾で求めていた「家」あるいは「家族」とは何だったのだろうか。現実的には、パートナーである李康生だ、ということができるかもしれない。しかし、それは中国人社会の求められるべき「家族」の形ではないことは明らかだ。三作目の『河』(1997) で奇病にかかったシャオカンを苗天演じる父親が心配する。それが暗示するものは、子孫ができないという恐怖のようなものだったのではないだろうか。今回、 シャオカンに子供がいるという設定は本当に驚いたが、次世代に未来を託すという意味にも感じられる一方で、産女のような女を登場させることで、子供を持てない悲しみも描いていた気がする。

想像するに、監督にとってのあるべき「家」「家族」とは、もしかしたら映画の中にしかあり得ないものだったのではないだろうか。近年の経済至上主義の傾向 の中、芸術映画を作る事が困難になっていることは、監督自身の口から何度も耳にすることである。映画作りをできない監督は「家」を失ったも同然なのかもしれない。この映画にはそんな心境が綴られているように思える。
自分の表現に頑までに忠実でありつづけた蔡監督の姿勢は、同じように自分の美意識を貫き、 生涯独身でありながら「家族」というものを撮り続けた小津安二郎を僕に連想させる。(★★★☆)


初出「旅シネ」より

『郊遊<ピクニック>』STRAY DOGS
2013年/台湾・フランス
監督:蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)
出演:李康生(リー・カンション)、楊貴媚(ヤン・クイメイ)、陸奕静(ルー・イーチン)、陳湘琪 (チェン・シャンチー)
配給: ムヴィオラ
上映時間:138分
公開:9月6日(土)より、シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
公式サイト:http://www.moviola.jp/jiaoyou/

2013ヴェネチア国際映画祭 審査員大賞 受賞
2013金馬奨 最優秀監督賞・最優秀主演男優賞 受賞

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