シアター・プノンペン [カンボジア]
プノンペンに暮らす女子大生のソポンは、病を患う母親、厳格な軍人の父、口うるさい弟との息苦しい生活にうんざりしていた。授業をさぼって明け方まで遊び回り、父が決めた将軍の息子との見合い話から逃げ回る日々。ある夜、ボーイフレンドとはぐれた彼女は、廃墟の映画館に迷い込む。スクリーンには自分とそっくりの少女が映し出されており、壁の古いポスターにはかつて女優だった母の姿があった。映画館の主人で映画技師のソカと対面した彼女は、1974年に母が主演した『長い家路』という映画制作にまつわる意外な顛末を聴かされることになる。
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12人姉妹 [カンボジア]
『12人姉妹』クメール語バージョンの一部。
鬼女の娘は母親の策略で王子を貶めようとするが、逆に王子に好意を抱き…。
16日、第8回恵比寿映像祭の上映プログラムからカンボジアのファンタジー映画『12人姉妹』(1968年リー・ブン・イム監督)とガーデンホールの「動いている庭」展示を鑑賞。
18日には、リティ・パン監督『フランスは我等が故国』(2015)を観た。
消えた画 [カンボジア]
『消えた画』はリティ・パニュ監督の集大成的な作品だと言えるかもしれない。
というのは、監督がストレートに自らの心象を言葉にし、自らの体験を作品にしたのは意外にもこれが初めてだからだ。クメール・ルージュ支配下で親・兄弟を失って行く様子が、哀切とユーモアをもったモノローグと「土人形」を使って語られる。「土人形」は素朴で愛嬌があり、時に気高く、不気味にも映る。監督が以前住んでいた家の間取りを再現しようとしたときに浮かんだアイデアらしいが、虐殺された人々が眠る血の染み込んだ大地から作られた人形は、彼らの声を代弁する。
合間に挟まれるのは、クメール・ルージュ時代 のプロパガンダフィルム。カンボジアには映画を含め、過去の映像がほとんど残っていない。監督は「Bophana(ボパナ)視聴覚センター」という施設を作り、映像(=記憶)を集める活動もしている。リティ監督の映画を観ていつも思うの は、記憶とはやっかいなものであると同時に、かけがえのないものだということだ。内戦・ポト時代に、およそ180万人が亡くなっているそうだが、生き残ったもの、死んでいったもの一人一人に、語られない物語がある。
(初出「旅シネ」より抜粋)
消去: 虐殺を逃れた映画作家が語るクメール・ルージュの記憶と真実
- 作者: リティ パニュ
- 出版社/メーカー: 現代企画室
- 発売日: 2014/06/30
- メディア: 単行本
キャピトル〜ヴァン・モリヴァン [カンボジア]
Capitol Cinema, designed by Vann Molyvann , Phnom Penh 1996
TIFFにて、カンボジア映画にまつわるドキュメンタリー『ゴールデン・スランバーズ』('11)を観ていたら、ちょっとした発見があった。
天女とヘビ男 [カンボジア]
『天女伝説プー・チュク・ソー』(Poev Chouk Sor)(67)ポスター
第25回東京国際映画祭、今回の「アジアの風」部門の目玉といえば、まちがいなく伝説のカンボジア映画『天女伝説プー・チュク・ソー』(67)と『怪奇ヘビ男』(70)の上映だ。特に『ヘビ男』は国内だけでなく、周辺国で大ヒットを記録したようで、与えた影響も大きい作品。
現在齢80才のティ・リムクゥン監督(おそらく中華系)は奥様のマイランさん、娘のキムさん、お孫さんとともにカナダから来日。上映の際、登壇し、映画保存の背景を語ってくれた。内戦の戦火が激しくなるにつれ、危険を察した監督は、少しずつ、自作の6作品を国外に持ち出した。最後の一本が『天女伝説プー・チュク・ソー』(67)で、持ち出した直後、ポチェントン空港が閉鎖されたという。30年間保管し、去年の2月、ベルリンで公開をした。映画製作に理解を示し、映画を愛していたシアヌーク国王の崩御に哀悼の意を表し、カンボジア国民とともに上映を喜びたいとコメントしていた。(ちなみに故シアヌーク国王は、監督として映画をいくつか撮っている)
まさか、こんなにいい状態で、60-70年代のカンボジア映画を観る事ができるとは思わなかった。荒廃したカンボジアの文化状況を少し覗いたことがある身としては、まさに奇跡としかいいようがない。感激で胸が一杯になった。
ゴールデン・スランバーズ [カンボジア]
TIFFアジアの風「ディスカバー亜州電影~伝説のホラー&ファンタ王国カンボジア」のプログラムで観たドキュメンタリー『ゴールデン・スランバーズ』('11)は、内戦とポト派の粛清で失われてしまったカンボジア映画史を、人々の記憶から甦らせるという試みをもった素晴らしい作品だった。
映画にまつわるドキュメンタリーなのに、映画作品の映像素材は、ほとんど出てこない。(ラストに一部が映し出されるのみ)音楽(主題歌・挿入歌)、ラジオCMの音、ポスター、市井の人々の思い出や、存命の監督・俳優の証言によって浮かび上がって来る映画(=記憶)を、観ている我々に想像させる、という作りになっている。(この方法は、たとえば、賈樟柯の『四川のうた』あたりを思い出させる。)