上海の螢 [中国]
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すると螢が流れていた。青白い光が、私の顔を掠めすぎた。そして、空気の奇怪な分子のようにして、ゆらめきながら明滅しては消えていった。遠く流れるときは、螢の光は、やわらかい微かな線を描いた。一点にとどまっていると、何回も点滅し、もう消えるかと思っても、また光った。誰も、螢の事など、気づいてはいなかった。
上海の蛍。上陸したばかりの私を出迎えてくれた、異国の螢。それに感動しているには、私は、あまりにも、もの珍しい生活のはじまりにとり紛れていた。でも、たしかに螢の光が街路に流れていたのだ。
六月の中頃だった。
息苦しい、悩ましいような暑熱が、近寄りつつあった。
ーーーー武田泰淳著『上海の螢』より
6月の終わりに、杭州〜上海の旅に行ってきた。上海は二度目なので、今回は旧フランス租界を中心に観るつもりで、宿は便利そうな中山公園の近くにとった。偶然にも、近くに武田泰淳の居留地があったことを知り、あの『上海の螢』を再読して小説にまつわる場所を回ってみようと思った。写真は小説に出てくる場所を撮ったものもあるし、全く関係ないものもある。ワールドカップのせいで体調を崩し、活動が夕方からになったせいか写真が夜の部になってしまった。それが功を奏してか、なんとなく「螢」のイメージになったような。上の動画は、上海万博の中国館を模した土産品。螢のように点滅する、ただそれだけの置物。
武田は最晩年、ガンに冒されながら上海の記憶の中を泳いでいた。死ぬ間際、人は何を思い出すのか。32歳の時、当時の日中関係を憂い、魯迅の言葉におののき、徴用逃れの後ろめたさを感じながら、刺激的な異国の土地で暮らした。その思い出に耽溺するのは死の恐怖を和らげるモルヒネのようなものだったのかもしれない。この小説連作は、最後の一遍を書かれぬまま未完に終わっているのだが、武田は一体何を書こうとしていたのか。
出かける直前に立派な研究本が出てるのに気づいた。でも取り寄せてる時間はなく、武田が世話になったというO博士の家がどこにあったのかわからなかった。
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