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Bunohan [マレーシア]





シネ・マレーシアでオープニングを飾ったデイン・サイード監督の『Bunohan』は、 今までにないタイプのマレー系映画で、その重厚さ、深遠さに驚かされた。三人の兄弟が父親の遺産をめぐって繰り広げる物語は、ノワール映画の枠組みを借りたマレーシア版『カラマーゾフの兄弟』 といった趣き。さらにはワヤン・クリの世界観と土着の記憶も重層的に紡がれている。そこには政治への大きな批判が込められていて、クー・エンヨウ(邱涌耀)監督のドキュメンタリー 『影のない世界』と鮮やかにリンクするはずだ。
 
         
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dir.Dain Said talking with the audience at CineMalaysia.


CM・TVの世界で活躍していたというデイン監督。本作が処女長編映画というから驚きである。ダンディーという言葉がぴったりで、ユーモアを交えながら含蓄のある話をしていた。この作品でジョグジャカルタ・ネットパック・アジア映画祭にてグランプリ、台湾金馬賞にてNETPAC賞受賞、マレーシア版アカデミー賞(Filem Festival Malaysia)では、最優秀作品・監督・脚本・男優賞など最多8部門受賞している。

以下は整理の意味で自分用に書いたメモ。

              
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冒頭の導入部。ワヤン・クリッの人形師と思われる二人のぼやきが聴こえてくる。
「都会の人間には魂がなんだかわかっていない」
「われわれは、やはり、癒しの儀式(healing ritual :州政府に禁止されている)をしなければならない。」
コピ・ワルンに置いてあるテレビからは、この映画の三兄弟を演じている役者たちの話題が報じられている。コピ・ワルンの周囲では、映画撮影の準備をしている。ライティングのスイッチが入れられ、カメラはライトの光を正面から捉える。あたかも影絵人形に光が投影されるかのように、映画の物語世界が始まる。

                 *

国境を超えたタイの賭場で、ムエタイボクサーのアディル/Adil(次男)は借金返済のため、「デスマッチ」の試合に出ていた。アディルのリングネームは”ブンガ・ララン”という。彼は賭場を仕切るボスのピノイ(フィリピン人?)から借金をしていて、その出場は返済の意味もあった。だが、仲間の助けによって、試合の混乱の中、友人ムスキと逃亡する。行き着いた先は、故郷の村”ブノハン”(殺し屋という意味)。ポック・ワー/Pok Wahという初老の男の所に世話になることに。ポック・ワーは、アワン・ソナー/Awang sonarとムエタイジムを立ち上げた人物で、今は引退している。彼は、メック・ヤーから教わったという、煎じ薬で怪我を負ったアディルを回復させる。

ピノイに雇われている殺し屋・イハム/Iham(長男。アディルとバカルとは異母兄弟)は、粛々と仕事をこなし、賭場へ戻ると、ボスの腹心であるマレー系タイ人・デーン(“血”という意味)に、“ブンガ・ララン”(アディルのこと)の行方を追うように指示される。今回の「デスマッチ」を潰す計画を指南したと思われる中国人の男(ホー・ユーハン)に詰め寄り、行方を聞き出し、殺害する。その行方とは、”ブノハン”という村だった。実は自分の故郷でもあった。イハムは以前、船乗りだった。その頃の知り合いの中国人のところへ行き、話を聴くと、“ブンガ・ララン”が、腹違いの弟・アディルであることが判る。さらに、浜辺にあった自分の母親が眠る墓地が、別な場所に移動されたことを知ると、イハムは血眼になって母親の遺骨を探し出し、元の場所に移すのだった。

クアラ・ルンプールで教師をやっていた三男・バカル/Bakarは、母親を都会に残して故郷に戻り、父親の世話をするフリをしながら、父親が持っている土地を含む大掛かりな開発プロジェクトに関わっている。既に相続した分の30エーカーは金に代わり、しかし、残りの海沿いの土地について、なかなか父親の承諾を得られないでいる。ビジネス.パートナーである“ジョコル”(Jokol/ aka Talib タリブ)と一緒に、周辺の土地の買収まで用意周到に進めていた。アディルが所属していたボクシング・ジムを運営していたアワン・ソナーは、魚の養殖場のために、バカルから借金をしていた。その債券は、バカルからジョコルに売られていた。しかし、ソナーは養殖に失敗。その土地が、借金の形にジョコルのものになる事は目に見えていた。アディルとムスキの二人の選手を看板に、タイトルマッチを企画して、収入を得ようとしてはいるが、焼け石に水だった。

                  *

そんな三人の兄弟が実家に集結する。
ポック・ワーの所から、数年ぶりに実家を尋ねたアディル。バカルとすれ違いざま、勝手に部屋に入り、古いアルバムをめくる。(一方、床下ではイハムが、半ば捨てられたような箱に入れられた写真を観ている)父親と再会すると、「海沿いの土地はお前の物だ」と言われる。訝しがるアディル。帰りがけにバカルとも対面する。バカルと(KLに住んでいる)母親のメック・アニは、幼い頃からアディルをのけ者扱いしていた。アディルには積年の恨みがある。「土地のことはどうでもいい。人のためにやってるというのなら、ソナーの借金を帳消しにしてやったらどうだ?」とアディルはバカルに吐き捨てる。

また、アディルは海沿いの土地でイハムとも対面する。そこは、イハムの母親メック・ヤー(つまり、長男イハムは異母兄弟)が、父親と別れて一人で過ごした場所だった。そこには取り戻した墓がある。「彼女は、こんな人生を送るはずじゃなかったのだ」というイハム。

そして、アディルは、父親が、なぜこの土地を自分に与えようとするのか、徐々に察するようになり、詳しい事を知っているポック・ワーと中国人のジンに、真相を問いつめた。アディルは、実は先妻のメック・ヤーの子供で、父親と彼女が離婚した後に生まれた子供だったのだ。つまり、長男イハムとアディルの母親は同じだった。イハムが殺し屋になった行きさつも、その虐げられた人生から来るものだった。
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ジョコルは、コピ・ワルンのコックから、あるフルーツを仕入れていた。それは毒薬になるもので、ある企てのためだった。そして、イハムの上司にあたるタイ人のデーンにも近づいて、何やら取引をする。また、バカルもある企みをもって、アディルのボクサー仲間のムスキに近づき、母親が病気で金に困っているのにつけ込んでのことで、ある提案をする。それは、兄弟選手であるアディルと「デスマッチ」をすることだった。

イハムは、弟アディルを見逃してやってくれないかと頼むが、その言葉が合図のようにデーンはイハムを裏切り者として殺してしまう。
かつては船乗りで世界中を回っていたという漁船の上で、アディルのデスマッチが始まる。別コーナーから現れたムスキに驚くアディル。試合がはじまり互角に戦う二人だったが、アディルが顔に傷を負うと、セコンドのソナーが、薬を塗る。それはジョコルが彼に渡した毒薬だった。試合中、倒れ込むアディル。
一方、浜辺では、神に捧げるように浜辺でワヤン・クリを演じている父親。スクリーンに映る、バカルと父親のもみ合う影。(父親は、バカルの手によって殺される・・・)

劇中に出てくる少年は、父親の幼い頃の分身で、土地の伝統を受け継ぐ純心な魂の比喩表現のように見える。死んだはずのメック・ヤーと会話する。彼女はもともと魔術をたしなんだり、自然や霊魂の会話ができる人物として描かれている。トカゲと一体化して登場したりもする。
コピ・ワルンで話していた影絵人形師の二人は、ポック・ワーに促されて、闇の中へ消えていく。ラストショットは、その土地に200ものバンガローとゴルフコースのあるマリナ&リゾート・コンプレックスが建設されるという告知看板が映される。

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アディルは、“ブンガ・ララン“(セイタカアワダチソウのような植物の名前)という異名を持っていることから「自然」を象徴しているのかのようだ。イハムは、村の「死者の記憶=歴史」を体現。父親は肩書き通り、影絵人形師(ダラン)で、物語の「語り部」であり、物語を操る人物。それらを「現代人」「都会人」であり、一見まっとうに見える「教師」のバカルが殺す、という物語だといえそうだ。



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