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王兵と鉄西区 [中国]

ペドロ・コスタ、アピチャートポン、タヒミック監督、元東大学長らが審査員を務め、注目を集めていた今年の山形国際ドキュメンタリー映画祭ですが、2003年に『鉄西区』で大賞を穫った王兵(ワン・ビン)監督の『鳳鳴〜中国の記憶』が二度目の栄冠に輝いたようです。

http://www.yidff.jp/home.html

今年の夏の「山形国際ドキュメンタリー前夜祭」で意を決して『鉄西区』を観た。
「意を決して」というのはこの作品が全編9時間超の大作だからで、今まで何度か機会があったのに躊躇していたのだ。
だが、圧倒されてしまった。噂通り、まちがいなく映画史に残る作品だと思う。

瀋陽の「鉄西区」は戦前日本が建設した軍需工場を基に発展して来た重工業地区。最盛期は100万人近い労働者が働いていたが、国営企業の斜陽化、施設の老朽化で衰退の一途を辿る。
第1部「工場」ではもはや廃墟同然のような工場が操業停止に至るまでを追っているのだが、まず映し出される風景に目を疑ってしまう。広角のレンズを使ってるせいなのか、工場内がひたすらデカく奥行きがあり、この空間から抜け出せないのでは?と感じさせるような広さを感じさせる。英語の副題がRust「サビ」とあるように、工場とそれを取り巻く世界がサビで覆われてるような色をしている。害のありそうな怪しい煙、水蒸気、そこを行き来する労働者の無防備な姿。(入浴シーンが繰り返し挿入される)まるでSF映画のようだ。

第2部「街」は労働者の住宅地で暮らす若者たちの姿を追う。負のイメージの中で生命感溢れる存在。青年たちはいろいろな状況や関係性をもちながら入り組んだ街の中に点在して住んでいる。だが、再開発で住民の移住と住宅の取り壊しが始まる。ラストでは街が消滅して荒涼としたサラ地になってしまうというショッキングなシーン。日本では考えられないスピードと変化。背景に強大な権力を感じる。

第3部「鉄路」は鉄西区の中を物資を運ぶ鉄道の衰退を描く。だが、中心に据えられるのは線路脇のバラックに住む親子の姿。彼らはくず鉄などを広いながらなんとか糊口をしのいでいる。あまりに無力な存在で、多分この映画に出てくる最底辺の人々。父親が石炭を盗んだかどで警察に留置されてしまい、それを心配する息子。カメラはそれまで巨視的な視点や集団を捉えていたところから、さらに個人の領域へ一歩踏み込む。だから感情を揺さぶられる。

創作側の視点に立ってみると、何と途方もない映画製作だったんだろうと思う。手持ちカメラで、一言も発することなく被写体の空気みたいな存在になって歩き回る4年間という時間。しかし、ただダラダラと撮っているのではなく、社会の構造、街の全体像、そしてシステムの中に生きる人間をあますことなく切り取っているのには感心する。

ジャ・ジャンクーの『長江哀歌』も過去から滔々と流れる時間の流れの中から、今の時代を「詩的」に切り取ってみせた傑作だった。だが、代わり行く時代に哀惜の念があるとはいえ、来るべき未来に興奮している様子が図らずも出ている作品だったと思う。一方、この映画は圧倒的な質量と厳格さとリアリズムで時代の終焉を切り取る一方で,強烈な批評性を感じる。
全編9時間超という長さは意外にも苦痛にならず(2日分けて観たせいかもしれないけれど)、むしろ時間と空間に埋没することができる必要な長さと思えた。


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