CROSSCUT ASIA #05 [東南アジア]
CROSSCUT ASIA #05 ラララ♪東南アジア
第5弾は東南アジア各国の音楽に注目した映画の特集。
評判の良かったフィリピンの『リスペクト』(トレブ・モンテラスII監督)、『BNK48: Girls Don't Cry』(ナワポン・タムロンラタナリット監督)がスケジュール上観られなかったのが残念だった。
31st TIFF [アジア総合]
第31回東京国際映画祭 10.25(木)– 11.3(土)
アジア映画に関してはすごく観たいと思っていた作品がラインナップされず、肩すかし。バイガジンと陳果(フルーツ・チャン)が救いだった。ワールド規模でみたら、ランティモス、キュアロン、レイガダスなどラテンアメリカ勢の旬な監督が充実していた。(『ローマ』は瞬殺で売り切れ、チケットとれず→のちに劇場公開で観た)
31st TIFF個人的ベスト10は『ザ・リバー』『詩人』『ホワイト・クロウ』『三人の夫』『悪魔の季節』『武術の孤児』『堕ちた希望』『われらの時代』『女王陛下のお気に入り』あたり。
検閲と自我 [アジア総合]
新宿K’sシネマでドキュメンタリー・ドリーム・ショー東京のプログラムでいくつか観る。
以下の2本はいずれも映画の検閲にまつわるドキュメンタリー。各国の様々な事情があるが、中国当局のやり方はほとんど弾圧に近い。ゲストのトークセッションも興味深かった。
●『カット』(2016)ハイルン・ニッサ監督(インドネシア)
エドウィン監督とプロデューサーが『空を飛びたい盲目の豚』(08)の検閲申請をする様子を追い、(検閲申請は今回で2度目)その審査過程をあらわにする。スハルト時代の映画法92年8号が未だに適用され、ジョコウィ政権になってもほとんど変化がない。劇中にはリリ・リザ監督の姿や、ウスマル監督の言葉も引用されていた。
エドウィン監督とメイスク・タウリシアさんによるトーク。政府の喧伝・教育で、検閲にひっかからないように自己規制する雰囲気がDKI以外にはある。自分の場合は検閲があるからといって作品が変わるようなことはない。独立でやってる配給が機能していて『空を飛びたい~』は年に10回は各地で自主上映される、とのこと。
エドウィン監督(右)とプロデューサーメイスクさん
以下の2本はいずれも映画の検閲にまつわるドキュメンタリー。各国の様々な事情があるが、中国当局のやり方はほとんど弾圧に近い。ゲストのトークセッションも興味深かった。
●『カット』(2016)ハイルン・ニッサ監督(インドネシア)
エドウィン監督とプロデューサーが『空を飛びたい盲目の豚』(08)の検閲申請をする様子を追い、(検閲申請は今回で2度目)その審査過程をあらわにする。スハルト時代の映画法92年8号が未だに適用され、ジョコウィ政権になってもほとんど変化がない。劇中にはリリ・リザ監督の姿や、ウスマル監督の言葉も引用されていた。
エドウィン監督とメイスク・タウリシアさんによるトーク。政府の喧伝・教育で、検閲にひっかからないように自己規制する雰囲気がDKI以外にはある。自分の場合は検閲があるからといって作品が変わるようなことはない。独立でやってる配給が機能していて『空を飛びたい~』は年に10回は各地で自主上映される、とのこと。
エドウィン監督(右)とプロデューサーメイスクさん
パパイヤの香り [ベトナム]
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『パパイヤの香り』(1993)トラン・アン・ユン監督
1951年、10歳のムイは使用人として働くためにサイゴンの資産家の家でに連れてこられた。その家には優しい女主人、根無し草の旦那、三人の息子たち、そして孫娘を失って以来二階にこもりっきりのお婆さんがいた。ムイは先輩女中に教えられ、一家の雑事を懸命にこなしていく。そして彼女は、ある日長男が連れてきた友人クェンに恋心を抱く。
*
今回再見して気づいたのは、ムイにちょっかい出す一家の末っ子がまるで爆弾小僧(横山準)だったこと。(次男は葉山正雄似か)屁をこいたり(×2回)、後ろ姿で尻をかく造作が小津映画のオマージュにも見えた。
後半、20歳になったムイがクェンという若き音楽家の使用人になるパートは、ジョルジュ・バルビエの絵をそのまま体現したようなエキゾチシズムあふれる美しい画で、ため息をつく。監督の中で一番好きなのは『シクロ』(1995)だったが、この映画も甲乙つけがたい傑作だと改めて思った。
*
飯田橋アンスティチュ・フランセで『パパイヤの香り』(94)特別上映会+トークを観て来た。監督の来日に合わせたイベントで、トークは石坂健治さんの司会進行。個人的には『パパイヤの香り』を観るのは今は亡きシネマスクエア東急@新宿の劇場で観て以来なので、実に二十数年ぶりになる。
トラン・アン・ユン監督とヌー・イェン・ケーのトークは非常に興味深かった。長編デビュー前後の話や、カメラワークが溝口の影響を受けていること、隠喩と映画のエクリチュール、ベトナムでやっているワークショップの成果が『三番目の妻』(アシュ・メイフェア監督)として結実していること、映画人生の中で『シクロ』(1995)の撮影で一年間サイゴンに滞在したことが作品含め印象に残っている、と話していた。
『パパイヤの香り』(1993)トラン・アン・ユン監督
1951年、10歳のムイは使用人として働くためにサイゴンの資産家の家でに連れてこられた。その家には優しい女主人、根無し草の旦那、三人の息子たち、そして孫娘を失って以来二階にこもりっきりのお婆さんがいた。ムイは先輩女中に教えられ、一家の雑事を懸命にこなしていく。そして彼女は、ある日長男が連れてきた友人クェンに恋心を抱く。
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今回再見して気づいたのは、ムイにちょっかい出す一家の末っ子がまるで爆弾小僧(横山準)だったこと。(次男は葉山正雄似か)屁をこいたり(×2回)、後ろ姿で尻をかく造作が小津映画のオマージュにも見えた。
後半、20歳になったムイがクェンという若き音楽家の使用人になるパートは、ジョルジュ・バルビエの絵をそのまま体現したようなエキゾチシズムあふれる美しい画で、ため息をつく。監督の中で一番好きなのは『シクロ』(1995)だったが、この映画も甲乙つけがたい傑作だと改めて思った。
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飯田橋アンスティチュ・フランセで『パパイヤの香り』(94)特別上映会+トークを観て来た。監督の来日に合わせたイベントで、トークは石坂健治さんの司会進行。個人的には『パパイヤの香り』を観るのは今は亡きシネマスクエア東急@新宿の劇場で観て以来なので、実に二十数年ぶりになる。
トラン・アン・ユン監督とヌー・イェン・ケーのトークは非常に興味深かった。長編デビュー前後の話や、カメラワークが溝口の影響を受けていること、隠喩と映画のエクリチュール、ベトナムでやっているワークショップの成果が『三番目の妻』(アシュ・メイフェア監督)として結実していること、映画人生の中で『シクロ』(1995)の撮影で一年間サイゴンに滞在したことが作品含め印象に残っている、と話していた。
リアルと悪夢の中での葛藤 [韓国]
「韓国インディペンデント映画祭〜リアルと悪夢の中での葛藤」
@アテネフランセ文化センター9/26~29
今週は親族の入院見舞いにかこつけて(お茶の水の病院に入院していたので)アテネ・フランセで開催中の「韓国インディペンデント映画特集〜リアルと悪夢の中での葛藤」で5作品を見て来た。救いのないシビアな作品が多くて辟易したけど、その中でも『彼女の場所で』(14)『青い口のついた顔』(15)『鳥類人間』(14)がかなり見応えあった。
http://www.athenee.net/culturalcenter/program/ko/koreaindependents.html
そういえば、以前は頻繁に韓国インディペンデントの特集やっていましたね。
関連記事→https://e-train.blog.so-net.ne.jp/2006-08-19-1
バッド・ジーニアス [タイ]
子供の頃の記憶になるけど、その昔、カンニング・ブームというのがあった。実際に学校でカンニングが横行したというのではなく、『ザ・カンニンング IQ=0』(1982年公開)というフランスのコメディ映画が話題になり、TVのバラエティ番組がこぞってネタにしたり真似をしたのだ。ジャッキー・チェンの映画に『カンニング・モンキー天中拳』(’83年公開)なんて邦題までつけてることから、当時の流行が伺える。(こちらは和製英語のカンニングではなく、本来の”ずる賢い”の意だと思うけど)
インディアン・シネマ・ウィーク [インド・南アジア]
昨日はキネカ大森で「インディアン・シネマ・ウィーク2018」のプログラムから『同意』(Raazi)とマニ・ラトナム監督『吹き渡る風に』を観て来た。『ドゥルガー〜女神の闘い』は英語版ですでに視聴しているが、そのメモ。
ゲンボとタシの夢見るブータン [チベット・ブータン]
ゲンボとタシの兄妹が実に魅力的だ。
二人は今どきの日本の中高校生のようにYoutubeやFacebookに興じ、まるで仲のよい親友同士のように、サッカーや可愛い女の子の話で盛り上がる。え?と思った方も多いだろう。兄弟ならまだしも、兄と妹が?と。タシは男っぽい女の子で、性同一障害(FtoM)の要素があるようなのだ。両親も「男の子の魂を持って生まれて来た」と、その辺は理解を示してるようだ。