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カビールを巡る旅 [インド・南アジア]


Sung by Shabnam Virmani

http://www.kabirproject.org/

今年のDDSはインドの作品を中心に観た。
コルカタの路地裏を舞台に盲目の両親が子育てに奮闘する姿を追った、ソーラヴ・サーランギ監督の心揺さぶられるドキュメンタリー『ビラル』、不条理な国家権力に異議を唱えるアマル・カンワル監督の作品群は別の機会に書く事にして、今回は音楽家でもあるシャブナム・ビルマニ監督の力作『カビールを巡る旅』全4部作について。(上の動画は監督の歌)

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G.アラヴィンダン [インド・南アジア]

aravindan.jpg

「無垢の詩人 G.アラヴィンダン」  
3月8日、14日、15日 川崎市民ミュージアムにて特集上映。



一昨年のイベント『日印交流年〜インド映画の輝き』で観た『チダンバラムの愛』と『魔法使いのおじさん』が仰天するほど素晴しかったので、ゴーヴィンダン・アラヴィンダン監督(1941-1991)の他の作品を予てから観たいと思っていた。これは見逃せない。同じスケジュールに国際交流基金の「アジア映画ベストセレクション」が被ってしまったのだけど、ひとまず、こちらを優先することにした。

今回は『サーカス』『黄金のシーター』『エスタッパン』『黄昏』『追われた人々』を観る。この中では『サーカス』が群を抜いて素晴しかった。上のパンフは1994年の川崎市制70周年記念の映画祭のもので、図案は新聞紙上にマンガを描いていたというアラヴィンダン監督自身の手によるもの。
既に評価の定まった人だと思うが、いくつかの作品はDVD化してもいいのではないだろうか。倉庫の棚に長く閉まって置くにはもったいない監督だ。ケララ・マラヤーラム語映画特集と称して、またどこかで上映して欲しい。ゴーパラクリシュナン監督作品も含めてお願いしたい。

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チャロー!インディア [インド・南アジア]

chalo.jpg


『チャロー!インディア〜インド美術の新時代』
2008年11月22(土)−2009年3月15日(日)
森美術館にて。


実はこの展示、2回観ている。
2回目は小学3年生の甥っ子を連れての鑑賞。

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愛のジハード [インド・南アジア]

JihadforLove.jpg



東京国際L&G映画祭に行くのは随分久しぶりだ。たぶん、スタンリー・クワンの『藍宇』(2001)以来、いや、もっと最近、韓国の映画を観たような気がするが、ちょっとタイトルを失念してしまった。今年はアジア映画が充実してそうなのでいくつか観ることにした。
http://www.tokyo-lgff.org/2008/index.html
(そういえば去年僕がインドに行って不在の間、「アジア・クイア映画祭」(4/14-20、2007@下北沢)というのがあったみたいだ。今回はその上映作品とダブるものもあるようだ)



『愛のジハード』は戒律の厳しいモスリムの同性愛者たちを追ったドキュメンタリー。監督はインド出身で自身もゲイでイスラム教徒のパーヴェズ・シャルマ。またプロデューサーはユダヤ教徒の同性愛を追ったドキュメンタリー『Trembling before god』で知られるユダヤ系米国人 サンディ・ S・ドゥボウスキ。(この異教徒の組み合わせもすごい)会場では二人を交えてのトークセッションがあった。映画は、南アフリカ、エジプト、サウジアラビア、イラン、イラク、トルコ、パキスタン、インド、バングラディシュ、アメリカ、イギリス、と多方面にまたがって取材されており、6年の歳月を費やしているという。途中、やはり私は映画に出たくない、という被写体もあったりで、編集にも1年を費やしたそうだ。制作のきっかけは、9.11が発端であったという。

戒律の厳しさも国、地域、個人によって随分差があるのだが、やはり特に厳しいのはシーア派でシャリーア(イスラム法)を遵守するイランのようで、これまで多数の同性愛者が死刑、またはむち打ち100回などの刑を受けており、2005年の二人の十代の少年が死刑になったニュースは記憶に新しい。
(→http://gayjapannews.com/news/news161.htm
また、日本でも16年の歳月をかけてもついぞ難民認定を受けることができなかったシェイダさんも、そういった迫害から逃げて来た人物の一人。結局、第三国へ出国という不甲斐ない結果に終わったのだった。いったい彼は今どこに?
(→http://www.sukotan.com/shayda/shayda_top.html
劇中にも、イランを離れ、トルコで受け入れ先を待つ4人のイラン青年たちを捉えたパートがあった。いつ本国に強制送還されるかわからない不安と、家族、そして故郷、自分の育ったコミュニティーを捨ててしまう悲しみを描いていた。現在、4人はカナダに無事いるそうだ。

トルコにはスーフィズム(イスラム神秘主義)の伝統があって、モスリム国でも同性愛に寛容であること、またそのスーフィズムは(イスラム教浸透の要因にもなるのだが)、パキスタンやインド(そして東南アジア)へ伝播しており、16世紀のスーフィー詩人のマードー・ラール・フサインの逸話が紹介されていた。この詩人の聖者廟(タルガー)はパキスタンのラホール北東のバーグバーンプーラという所にあり、マードーはヒンドゥーの男性の名前で、フサインはムスリムの男性の名前。つまり二人の親密な「異教徒」の男二人が廟に眠っているのだとか。今も信仰者の来訪が絶えないようだ。

参考→http://indo.to/log/kahkashaan/?itemid=448
  →http://koidelahor.exblog.jp/3393992/








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Ilaiyaraaja & SPB [インド・南アジア]

http://dailykirukkal.blogspot.com/2007/11/vaanengum-lyrics-ilayarajas-classics.html
(うるさいので別枠にしました↑ 聴いてみてください)

昨年のインド映画祭で見た『三日月』(1982年 タミル語/Moonraam Pirai)という映画の冒頭シーンで使われていた曲"Vaanengum Thanga"についての話。

チェンナイのマリーナビーチあたり(?)で人々が戯れている風景、その後ろで流れていた曲なのですが、(今思うと、一体なんの意味があったシーンなのだろう?)、なぜか私のハートをつかんで離しませんでした。インド音楽も80年代に入り、当然ながらクロスオーバーなものを取り入れていたんだという事実がはっきり読み取れる音じゃないかと思います。勝手な思い込みですが、ブラジルのトロピカリズモ周辺の音にも近い感じがします。スキャットがインド風なのもご愛嬌。

『三日月』という映画は、交通事故で記憶喪失となり、幼児のような振る舞いをする少女が、間違って売春宿に売られ、そこに客として訪れた高校教師によって救い出され、生活をともにして行くという話。シリアスというより、笑いあり、お色気ありの、ラブコメディと言った方が相応しい。ラストシーンでは少女に記憶が戻り、切ない別れが訪れる・・・。
監督はスリランカ系移民Ⅱ世のバール・マヘーンドラ監督。この映画を制作する前、人気女優と不倫関係にあり、女優が自殺してしまうというスキャンダルに巻き込まれていたという。(この手の話、インド映画界にはよくありますね)その辺が、ラストシーンにただならぬものを漂わせているのかもしれない。

音楽の話に戻ると、この曲を作曲したのはタミル映画音楽の巨匠イライヤラージャ。そして歌っているのはS.P.B.ことS.P.バーラシュブラマニアム(Balasubrahmanyam)。黄金の名コンビといったところだろうか。CD音源を手にいれようと画策していたのですが、やはり現地に出向いて行かないと無理そうです。下の曲もいいです。



Payanangal mudivathillai / Ilaiyaraaja - SPB

ドクター・コートニース [インド・南アジア]


Dr.Kotnis Ki Amar Kahani(1946)

『コートニース博士の不滅の生涯』(1946)


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レーカー [インド・南アジア]


In Aankhon Ki Masti Ke from "Umrao Jaan"(1981)

『日印交流年〜インド映画の輝き』(10/9-11/16@東京国立近代美術館フィルムセンター)も佳境に入って来ました。
上映作品の数は88年の『大インド映画祭』以来の規模だそうで、これを逃してはなるまいと、時間の許す限り観ています。

『踊り子』(1981、原題"Umrao Jaan")は19世紀、セポイの反乱が起きる頃を舞台にした話。少女時代に人さらいにあい、ラクナウの娼館に売られ、遊女として育てられたウムラーオ・ジャーンの半生を描いたもの。王族貴族のボンボンに見初められ(上の動画)、恋仲になるのだが、男は家族の望む別の女性と結婚してしまう。その後、盗賊の首領と仲良くなったりするが、彼も戦闘で殺されてしまう。戦乱で混乱する中、紆余曲折あって自分の生まれたファイザーバードの村にたどり着き、母親と再会する。だが、かつては幼かった弟に「汚れた遊女とは一緒に住めるか!」と追い出され、一人になってしまう・・・。

ウィキペディアによると、原作はウルドゥー語の小説『Umrao jaan Ada』でミルザー・ハーディー・ルスワーによって1905年に書かれたもの。パキスタンでも映画化されていたり、最近はアイシュワリヤー・ラーイ主演でリメイクされた。
映画全体はこじんまりとしてしまって、個人的にはパッとしない感じがしましたが、そんな中でも日本のCMにも出ていたという女優レーカーの憂いのある妖艶な肢体とサウンドトラックが強く印象に残ります。この女優の存在だけでも、この映画はいつまでもクラッシックとして語り継がれるのでしょう。吹き替え歌手はアーシャ・ボースレー。


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グル・ダット [インド・南アジア]

Jaane kya tune kahi - pyaasa (1957) film by Guru Dutt

先日のインド旅行でグル・ダットの3枚組DVDセットを買ってきたのですが、なんと日本版が先月発売されていました。タイミング悪い。日本語字幕、解説つきの方がやはりいいでしょう。

グル・ダッド傑作選DVD-BOX

グル・ダッド傑作選DVD-BOX

  • 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
  • 発売日: 2007/05/26
  • メディア: DVD


グル・ダット映画は作品もさることながら、スキャンダラスな実生活も興味深いです。
女優ワヒーダ・ラフマーンと妻で吹き替え歌手のギーター・ダットとの三角関係(不倫相手の女優の歌声を妻が吹き込んでいたり・・・)、そして監督の早すぎる死。自伝的要素の強い作品には説得力があり、モノクロの映像が、美しさとともに寂寥感を醸しだしています。

代表作『渇き』という作品は、売れない詩人と娼婦との恋物語でとても印象深い作品です。現代のボリウッド映画の薄くて長すぎる物語とくどいダンスシーンに辟易してしまう私ですが、この映画は何度見ても飽きる事がありません。詩人という設定が歌(=詩)を不自然にしないためかもしれません。

解説をされている次良丸(じろまる)章さんのページ。
http://homepage3.nifty.com/jiromaru/index.html


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ビートルズ(1) [インド・南アジア]


"Puuja" at Parmarth Ghat , Rishikersh, India(2007)

ビートルズの4人のメンバーがインドのリシケシュに滞在したのは1968年の2月〜4月頃でした。40年近く前のことです。

最初にマハリシに感化されたのは、ジョージの妻パティでした。(後にクラプトンの妻になる人です)マハリシ・マヘーシュ・ヨギというインド人グルは、1955年頃から超越瞑想(Transcendental Meditation:TM)という瞑想法を伝授する活動を世界で展開していました。60年代のアメリカでは3大グルの一人とされて崇拝され、80年代の日本ではストレス解消法としてTMが企業にも導入されました。
ビートルズの4人は家族ぐるみでイギリスを巡回中のマハリシの講演会に出かけ、交流を深めた末、ついにインドに出向くことになります。


The Gate of Maharish Yogi Ashuram ,Rishikesh(2007)

リシケシュはガンジス河の上流部にあり、ヒンドゥー教の巡礼地として有名です。ヨガ・アシュラムがたくさんあることでも知られています。

マハリシのアシュラムはガンジス河のほとりにある小高い森の中にありました。
ビートルズのメンバーはそこで一日5時間以上のメディテーションをしながら、たくさんの曲を生み出しました。その楽曲は通称ホワイトアルバムといわれる、"The Beatles"に結実します。

ご存知の通り、ホワイトアルバムは全体としてソロ曲の寄せ集めのようなバラバラな印象があり、どこか肩の力を抜いた、素のままの彼らを表現したような作品集になっています。また、自然と太陽を感じさせる曲が多いのは、このリシュケーシュの環境が大きく影響しているように思います。ジョージの名曲”Something","Here comes the sun"もここで作られたようです。

その前年、彼らのキャリアは光と影の両面を持ち合わせた局面を迎えます。最高傑作といわれる『Sgt.Pepper's Lonley heats club Band』を作り上げ、名実とも現代音楽の頂点に立つ一方で、自分たちで企画した『マジカルミステリー・ツアー』のTV番組が散々な評価を受け、ビートルズ初の失敗作、と揶揄されたりしました。また、マネージャーのブライアン・エプスタインがミステリアスな死を遂げたのは彼らにとって大きな喪失だったでしょう。20代半ばで富や名声を手にして、やりたいことをやり尽くしてきた彼らでしたが、それでも精神的に満たされないことに気づき、何かを模索していた時期だったと思われます。

現在のマハリシ・アシュラムは廃墟になっており、州政府の管理下におかれ入場が制限されています。地元のインド人はここを贅を尽くした”宮殿”という言い方をしていましたが、中へ入ってみると、その理由がわかりました。
敷地内は意外と広く、すぐに目に飛び込んできたのは、ヒト1人が入れるくらいの瞑想用のドームで、これが場内の至る所に点在しています。
2階立てのバンガロー風の建物や4階建てホテルのようなビルもあります。これが国道246沿いにあったら、まんまラブホテルですが、森の中にあると妖精でも出てきそうな可憐な建物に見えます。屋上にみえる白いカプセル状のものが手塚治虫的な曲線を思わせ、60’sでレトロフューチャーな雰囲気を醸し出していますが、これも同じような瞑想ドームで、はしごで天辺までのぼり、中に入る仕組みになっています。
 


この建物がいつ建てられたのかは、まだ未確認ですが、YouTubeでざっと見た限りでは、ビートルズ関連の映像には映っていなかったように思います。ビートルズ以降にたくさんの崇拝者(カップルが多かったそうです)が訪れ、お金を落としていったのかもしれませんし、世界展開をしていたTMの総本山として建設されたのかもしれません。60〜70年代、若者たちで溢れかえった活気のあった頃のことを想像するならば、森と花に囲まれたなかなかのユートピアとして映ります。
(ビートルズの映像に映っていたのは下のバンガロー風の家だったように思います。)

半ばジャングル化した場内を一人で歩くのは危険なのですが、好奇心がまさって、足が勝手に奥に進んで行きます。体とは裏腹に内心はびくびくしているのですが、ベンガル・トラなんか出てきませんように、と思ったその刹那、右手の薮の方からガサガサっと音がして、何者かが飛び出してきました。
「・・・・・・・・!!」

大きな猿でした。
マジびびりました。でもトラでなくて本当によかった。
その猿がのぼって行った木の先に、もう一匹の猿がいました。どうやらツガイのようです。

"Why Don't We Do It in the Road?"というポールの作った曲はインドで二匹の猿に遭遇した時の事を歌った曲らしいですが、その猿の子孫かもしれない、そうにちがいない、と独りよがりに思い込みました。

どうやらこの先に4人のメンバーが降り立ったというヘリポートがあるらしいのですが、門にカギがかかっていたので引き返すことにしました。

食事があわなかったリンゴ夫妻は2週間で、ポールは3週間で、リシュケシュを後にします。
ジョンとジョージは1ヶ月半。よく頑張りました。(笑)
おそらく、ベジタリアンな食生活と5時間以上のメディテーション、禁欲的な生活は、彼らにとって相当つらいものだったのではないかと思います。
(滞在期間に関してはまだ不明確なところがありますが)

マハリシとの決別の理由は、彼が同行していた女優のミア・ファーロウにセクハラをしようとしたことが原因になっているらしいですが、愛に寛容なはずのジョンがそれを許せなかったとは思えません。20代半ばという”幼さ”のせいなのか、ジョンはかなり疲弊していたのか、それともマハリシを想像以上に神格化していたのだと思われます。一説にはマハリシがドラッグづけのミア・ファーロウをアシュラムから追放しようとしたことが発端だという説があるようですが定かではありません。

その出来事がマハリシを皮肉った“Sexy Sadie"(セディーとはサドゥーのもじり)という曲になりました。
当初、曲のタイトルにはマハリシの名やサドゥーという言葉が冠されていたようですが、ジョージが止めた方がいいと諭したようです。
自分が信奉して入信したグルに対して、お前はただの人間だった、と言い放っているのですから、かなり身勝手な歌です。見る目がなかった自分を恥じるべきでしょう。(笑)ジョンの見事なまでの逆ギレソングの一つですね。

その後、『Apple』を発足させる彼らですから、リシュケーシュの滞在に終わりがくるのは判っていたはずで、後味の悪い結末となってしまいました。しかし、別の見方をすれば、この事件はビートルズが次のステップを踏むための儀式として必要だったようにも思えます。

しかし、その後の彼らといえば、ジョンはヨーコと前衛芸術活動に、ポールはアップルでのプロデュースに没頭し、ジョージは自分のソロを、、という感じで、4人の活動や意志はバラバラになって行き、解散へ向かっていきます。ホワイトアルバムはその過程で製作されました。

ザ・ビートルズ

ザ・ビートルズ

  • アーティスト: ザ・ビートルズ
  • 出版社/メーカー: 東芝EMI
  • 発売日: 1998/03/11
  • メディア: CD


【インドで作られたとされる主な曲】
"Dear Prudence" (Lennon-McCartney)
ミア・ファーロウの妹がメディテーションに熱心で部屋に引きこもってしまったため、ジョンが外に出て遊ぼう、と誘いかけた歌。
"The Continuing Story of Bungalow Bill" (Lennon-McCartney)
"I'm So Tired" (Lennon-McCartney)
リシケシュ滞在中、不眠症になったジョンが作った。
"Blackbird" (Lennon-McCartney)
滞在中の朝、鳥の声で目が覚めたポールが作った。
"Rocky Raccoon" (Lennon-McCartney)
ポールの曲。ジョンと同行したドノバンとのジャムセッションから出来た曲。
"Mother Nature's Son" (Lennon-McCartney)
マハリシのレクチャーからインスパイアされポールが作った曲。
"Sexy Sadie" (Lennon-McCartney)
"Why Don't We Do It in the Road?" (Lennon-McCartney)


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ゴア・トランス [インド・南アジア]


a Christmas ornament , around anjuna beach, Goa 1996


At Basilica of Bom Jesus that the corpse of Saint Francisco Xavier is laid in state ,Old Goa area, Panaji city.
35% of population of Goa are Christians.


New year party, at dawn ,somewhere in Goa 1997


Dancing through the night with Red Dragon.

インドを旅する人はこの時期になると、
フランシスコ・ザビエルの眠る街に集い、
フワフワと夢見心地に新年をむかえるのだろう。
昔も今も。


the setting sun ,around Baga Beach,Goa



Last Hippie Standing

Last Hippie Standing

  • 出版社/メーカー: ナウオンメディア
  • 発売日: 2004/02/20
  • メディア: DVD


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