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セデック・バレ [台湾]






日本統治下の台湾で原住民族が武装蜂起した「霧社事件」を克明に描いた歴史大作。
こういう歴史物は少し距離をとって観なくては、と常々思っているのですが、すごく見応えのある作品で、見事に監督の手中にはまってしまった。ここ最近では最も問題意識を喚起する刺激的なアジア映画の一つだと思う。

まず、その巧みな演出方法に驚かされる。第一部に関していえば、セデック族が、次第に日本人に対し憎悪を募らせて行き、怒りの頂点を作っていく方法は、ほとんど任侠映画の手法である。また、セデック族を演じているのは、実際のタイヤル族、タロコ族出身の原住民系の素人俳優が多く、(日本でも人気のビビア ン・スーはタイヤル族出身で、資金提供、ノー・ギャラで出演している)主演のモーナ・ルダオを演じた林慶台もタイヤル族の素人さんなのだが、目つきに凄み があって、まるでヤクザあがりの俳優・安藤昇のようだ。(左頬の傷と太いふくらはぎも共通点があったり)祖先の遺伝子を受け継いだ肉体が、山の中を駆けめぐる民族に相応しく、ドキュメンタリー性をも帯びている。

最も心動かされたのは、セデック族出身ながら警察官として日本の統治機構に携わった花岡一郎と二郎のエピソードだ。彼らは師範学校・小学校をそれぞれ卒業 し、日本人名を与えられ、日本人として生活していた。セデック族の蜂起に際し、日本人への恩義と、セデック族としての誇りの狭間で葛藤し、どちら側にも付 く事が出来ず、家族とともに自害してしまう。この辺りは、日本人とは何者なのか?を考えさせられるし、複雑な感情も湧いて来て落涙せずにはいられなかった。

確かにエンターテイメント性を追求するあまり、オーバーな表現も散見するのだが、見所満載のボリュームの中では些細なことに思える。この作品がユニークなのは、部族の死生観まで踏み込んでいる点だ。そして、その死生観をある民族にオーバーラップさせるという興味深い考察を見せてくれる。それは、戦時中に活躍した「高砂族義勇兵」を仄めかしてるようにも思えるが、同根だったかもしれないという、近代国家が成立する遥か昔のアジア人の往来をも想像させるものだ。「民族の誇りと存亡」というテーマは苦境に喘ぐ少数民族への讃歌にもなりうるし、他方で、ナショナリズムを煽る面もある諸刃の剣だが、古代から現在の アジア情勢を俯瞰しながら観ると、面白い発見ができるような気がする。

(初出『旅シネ」)







高砂族に捧げる (1980年) (中公文庫)

高砂族に捧げる (1980年) (中公文庫)

  • 作者: 鈴木 明
  • 出版社/メーカー: 中央公論社
  • 発売日: 1980/08
  • メディア: 文庫



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