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シンガポール・ガガ [シンガポール]






sintokで最後に観た2プログラムはいずれも女性監督の作品。それまで、華人中心でHDBが舞台の物語が多かったですが、こちらは多民族社会の部分や、観光客に馴染みの風景が出て来て、バラエティに富んでいる感じだった。

タン・ピンピン特選より
『シンガポール・ガガ』(2001・タン・ピンピン監督)

冒頭の方で、トイ・ピアノのアーティストがジョン・ケージの『4分33秒』を弾く。ご存知の通り、この曲は 演奏者が楽器の前に座ったあと、何もせずに4分33秒を過ごすという有名な現代音楽ですが、無音の中にまぎれる周囲の音、環境音楽を楽しむためのコンセプチュアルな作品でもあります。タン・ピンピン監督はそれを応用して、シンガポール国内から聞えてくる音、音楽、風景を収集し、多様な民族性を抱えるシンガポール国家を表象する。最近では、台湾映画『練習曲』(2007・チェン・ホァイェン監督)が近いコンセプトを持っていたと思う。

メトロの地下道の大道芸人たちの奏でる音、FM局で流される、福建、潮州、広東、客家語のアナウンス(テレビはこれらの方言が禁止されているようですが)、モスリム系学校の運動会の声援、シンガポールのナショナリズムを高揚させるイベント(独立記念日か?)、クイーンズタウン、インド人街の音と風景、などなど。50年間、腹話術人形師をしているVictor Khooと多様な民族の子供たちとの多言語のやりとりが微笑ましかった。

『お墓の引越し』(2005・タン・ピンピン監督)

土地再開発のため、先祖の墓を移転する一家の様子を追ったドキュメンタリー。
この中で、シンガポールが世界で最も人口密度が高い場所であることが告げられていた。ネットで拾った情報によると、終戦から70年代の始めまでに、シンガポールの人口は最も増えたようで、その大半が、マレーシア華人、インドネシア華人からの「二次移民」だったという。冷戦構造の中、中国人=共産主義者という考えが、両国の華人に対する締め付けにつながったらしい。その抑圧を逃れ、華人中心の国・シンガポールへ逃れて来たというわけだ。『シンガポール・ドリーム』(2006)で,福建語しか話せない母親が、最後、マレーシアへ行くというシーンがあったが、元いた場所へ帰るという意味も含まれてるのかもしれない。

お墓を移転するなんて、細木数子に叱られそうだが、一家はピクニックのような雰囲気で草木の茂る墓地に集い、墓堀人たちの様子を見守る。盛り土のさらに奥深くに朽ちた棺桶がある。白骨化したご先祖様に対面するのは家族だけで良いと思うが、我々観客も対面させられる。骨が黒いのは、癌だったせいだよ、なんて親類縁者が語りあっている。この辺は日本の火葬場と変わらない光景だ。土葬され白骨化した骨を火葬し、灰にした後、箱形の壷に入れ、マンション型の霊園墓地に埋葬する。先祖は福州の出身だったと思う。306区3階53番が住所。マンション型の墓地(納骨堂)は確かツァイ・ミンリャン監督の『河』にも出て来たし、最近では日本にも珍しくないが、規模はその比ではなく大きそう。お墓の移転がうまくいったからなのか、一家に開発の立ち退き料が入ったせいなのか、みなご満悦の様子であった。

Tan PinPin's blog
http://tanpinpin.com/wordpress/




『ゴーン・ショッピング』(2008・ウイー・リーリン監督)

「gone shopping」・・・ショッピングへ行ったまま帰ってこない人たちの話だった。
台湾の富豪の2号さんで、精神と心臓病を患っている女は、買い物依存症である。タンズ(TANGS orchard)という老舗ショッピングセンターのベッド売り場で働く旧知の髭の男と再会し、恋心を抱く。(観た顔だなあ,と思っていたら、『フォーエバー・フィーバー』(1998)の主演エイドリアン・バンだった)
インド人街にある24時間営業のムアスタファ・センターでは、マレー系の女装者が香水を嗅がせ、睡眠薬強盗をしている。彼女(彼)はなぜか、インド人のマネキンを神様に見立て(女神ラクシュミーに見えない事もない)腕に金のネックレスなどの供え物をしている。母親に置き去りにされたというインド系少女が、それを不思議そうに観ている,
マリーナ・スクウェアという若物が集うショッピングモールでは、日本大好きコスプレ女と、土産物屋でセールスをする眼鏡男子の恋が進行中。
3つのパートは微妙に絡み合うが、うまくまとまっていない感じもする。ショッピングセンターはシンガポールを訪れる観光客にとっては一番見慣れた風景かもしれない。監督は、オーチャード通り沿いの学校に通っていたそうで、タンズ(TANGS)に入り浸っていた時期があったという。

Wee Li Lin's web site
http://www.aweething.com/



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  • 出版社/メーカー: エスピーオー
  • メディア: DVD


日本で初めてロードショウ公開されたシンガポール映画。





【シンガポールの華人についてのメモ】

シンガポール華人の歴史は、19世紀まで遡ることができる。1819年、ラッフルズの上陸と同時に、シンガポールが貿易港として開港したため、中国やインドから多くの人々が労働者としてこの地にに流入してきた。中国移民の主な出身地は中国東南部の地域であり、彼らは出身地ごとにかたまり、出身地の方言を話す者同士で自らのコミュニティを築いていった。
その後、中国移民は、それぞれのコミュニティの中に吸収され、コミュニティは巨大なものとなっていった。それが幇の前身である。

シンガポールの5大幇は、福建幇、広東幇、潮州幇、海南幇、客家幇であり、その他には福州幇、福清幇、三江幇などがある。厳密に言うと、それらの幇は地域のみをベースにして成り立っているものだけではない。
そのよい例がリー・クアンユー、李登輝、孫文などで知られる客家である。客家とは、客家方言を話す地域出身の人々のことであり、客家方言は広東省の梅県や大埔、福建省の龍岩といった分散された地域で話されている。
広東省東部の潮汕地域で話されている言葉は、広東語ではなく潮州方言だ。福州地域でも福建語ではない言葉を話す。そういった方言グループによる集合体が幇なのである。

今でもシンガポールでは、一部の職業は幇によって独占されたままである。例えば、銀行・金融業界は福建幇、潮州幇、広東幇、コーヒーショップをはじめとした飲食業界は海南幇、福州幇、海産物・金銀業界は潮州幇、漢方薬・質屋業界は客家幇、自動車業界は福清幇が牛耳っており、それらの業界に他の幇が進出することは、強力なコネがない限り難しいと言われている。
興味深いことに、マレーシア、タイの華人社会でも幇による同様の職業分担が見られる。
(シンガポール国立大学日本研究学科非常勤講師 合田 美穂)
http://nna.jp/free/mujin/copi/copi_bn.html
(コピティアム〜現代シンガポールの華人社会〜)より引用

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