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高麗葬 [韓国]

映画も怖いが顔も恐い。
(上のチラシはキム・ギヨン(金綺泳)監督が亡くなった98年の追悼上映のもの)

一昨年前、「知られざる韓流〜オトコとオンナの映画秘湯2nd show」というイベントで、代表作といわれる『下女』(1960)と『死んでもいい経験』(1988-95)を観た。どなたかも指摘してましたが、画面から梅図かずお先生(吉祥寺の紅白ボーダーハウス周辺の方々、ご愁傷様です)のあの「恐怖の細かい効果線」が見えてくるような映画だった。『下女』は監督自身が何度もリメイクしているだけあって、確かに緊張感と、見せ所あって面白いのですが、ラストはいただけない。座席からずり落ちそうになった。(それでも第8回アジア映画祭で小津の「秋日和」とグランプリを争ったという)

東京国際映画祭のディスカバー亜州電影での企画上映で観た『高麗葬』(1963)はフィルムが欠損しているにもかかわらず、最高傑作にふさわしい見応えのあるものだった。(欠損部分は文字説明があるのですが、またそこが面白そうな所だったりする)
高麗時代の貧しい農村。満足に食う事ができない幼子グリョンのため母親は10人兄弟の子供のいる家に後妻として入る。グリョンの存在で生存を脅かされそうになった兄弟たちは、毒ヘピをしかけグリョンの足を不自由にしてしまう。村を精神的に支配する巫女は、将来、グリョンが10人兄弟を殺してしまうだろうと,預言する・・・・。

古来からのシャーマニズム、巫女(巫堂ムーダン)が霊魂に供物や踊りを捧げる「クッ」という儀式が未だに朝鮮には残ってるようで、その辺がリアルに描写されているようだ。女の子が生け贄にされるシーンは唖然とさせられる。また母親を仙人峰という乳母捨て山に捨てにいくあたりはスリリングだ。大きなハゲタカが母親の体をついばむシーンは最もショッキングなシーンのひとつ。どうやって撮ったのだろう?
ラストでは村を支配する巫女を全否定するわけだが、韓国社会にはびこる村社会性、迷信や血族的呪縛、そういったものから抗おうとする姿勢がこの映画から読み取れた。公開当時は相当な問題作なのではなかったか。





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