水牛楽団 [アジア総合]
『水牛楽団』 水牛レーベル(2001) |
「水牛楽団」は現代音楽家・高橋悠治を中心に結成されたバンドで、政治的集団でもあった。アジア民衆のプロテストソングを政治集会やコンサートで演奏しながら、水牛通信という同人誌を発行していた。このCDRは1978年から85年の活動期に制作された5本のカセットテープからの編集盤。
以前、大久保コリアタウンの教会で高橋悠治の演奏会を聴いた事があった。白髪まじりの角刈り、Tシャツ姿につっかけサンダルという格好は学校の用務員さんを思わせた。でも、ピアノ演奏は本当に素晴しく、そのギャップが印象的だった。CD音源を聴きながらのトークもあって、「水牛楽団」時代の事も語っていた。
タイ王国の音楽ジャンルにプア・チーウィット「生きるための音楽」というジャンルがある。そのジャンル分けを、僕はいまひとつ理解できずにいたのだけど、「水牛楽団」の活動を知ると、少しわかったような気になった。なぜかというと、そのジャンルの代表的バンド「カラワン」は高橋と親交があり、「水牛楽団」という名前は彼らの曲からつけられたからだ。当時タイ政府からマークを受け、ジャングルでの生活を余儀なくされていたカラワンのメンバーと東京の6畳一間で3ヶ月間一緒に暮らしたエピソードを語っていた。
その後、興味をもったので、『水牛楽団のできるまで』という日記風の著書を読もうとしたのだけれど、左翼主義的な匂いが強く、三里塚闘争の話なんかが出て来たり、過激な芸術批判ありで、途中で挫折してしまった。
音楽自体にも、そういう匂いはする。
金大中が拉致されたときに書いた詩に曲をつけた「時がくれば」、カラワンの曲で東京に3か月滞在中に録音された「雨をまつイネ」、フィリピンの「アン・パヤン・アコ(わが祖国)」などを含む17曲+エキスト・トラック(電子ブック)。
アジア諸国が経験した軍事政権〜民主化運動の時代、抑圧されたアジアの民衆にシンパシーを感じようとした日本の音楽家たちがいたことは、記憶しておかなければならない。
コメント 0